共同養育パパの声

更新日:2019年8月

|共同養育を実践しているパパたちの声です。

現在、共同養育を行っているパパさんたちの体験談のページです。
これまでの経緯、面会交流をどのように行っているか、共同養育についてどのように思われるか など、ありのままの声を掲載させていただいております。
​最初から行っていた方、乗り越えてきた方、葛藤がある方、ご経験はそれぞれ。
別居・離婚後の子育てに悩まれている方のご参考になれば幸いです。
​*掲載くださる方募集中!詳細はこちら

あおいパパさん

子ども:ひとり 9歳男子

☆今までの経緯

別居親(父)です。2015年、息子が小1の夏の終わりに連れ去られました。

4ヶ月間息子と会えず。その後、離婚調停を申し立てられました。

こちらからは面会交流と監護者指定を申し立てました。審判は、監護権は妻へ。

(妻側の陳述書には、毎週末の土日と祝日を面会交流日にしたいとの申し出がありながら)面会交流は月に二回ほどと決定されました。

訴えられていた私の「不貞」「DV」は却下、離婚理由なしで調停は三回を終え不調となりました。

 

☆現在の状況

離婚調停から2年以上が過ぎ、3年目に入りましたが未だに離婚してません。

妻からもその後、離婚の話はありません。

 

毎週末の土日と祝日は息子と過ごしています。(9時から18時まで)

小3になった息子は放課後1時間程度自由時間を与えられるようになり、(私が時間を割ければ)一緒に公園で遊んだり、サッカーをしたりなどしています。

地域のサッカーチームに所属しているので、土日と火曜日は練習にいつも帯同しています。

(来年度からは正式にコーチを引き受けるので、より息子と近いところに居られるようになります。)

 

サッカーの練習に妻もよく見学に来ます。用事があれば私のことを「こうちゃん」と呼びます。周囲の父兄からすればとても円満な家庭に見えているかも知れません。

 

妻は正社員として仕事をしています。土日が休みですが、その土日を息子は私のところで過ごしています。

 

☆苦労したこと

面会日を数えてみると昨年は130日ほどでした。しかし、いまだに宿泊を認めてくれません。

(街中のイルミネーションや、花火など理由があれば20時まで延長してくれたりなどはあります。)

キャンプに出かけたり、星空観察をしたりなど計画はするものの叶っていません。

 

☆親同士の関係構築のコツ

連れ去られから調停開始までの4ヶ月間断絶させられたわけですが、その後は任意で面会が守られています。

(まだまだ互いに疑心暗鬼、互いに許せないままの状態ではあるようですが。)

 

そんな中、共通しているのは「息子ファースト」にお互い徹していることかと思います。

息子にとって何がベストなチョイスなのか。この点については息が合っているというか一致している気がします。

平日の生活と習慣的なものは妻がしっかりと指導、教育し、土日や祝日は私が外に連れ出すと同居時から変わらず役割分担が出来ているようです。

 

☆子どもの様子

楽しかった事(悲しかった事)何でもパパ、ママ共に話していいんだよと。共有していいんだよと常々話しています。

もうすぐ小4になります。幼児期から少年期へ目に見えて移り変わっていってます。

『空気』を読んで、「今日のことはママには言わん方がいいよね?」なんてこともありました。

 

☆共同養育に向けて

現状、ほぼ共同養育が出来ている状態です。

しかし、何が阻害しているのか。それは家庭裁判所や学校、地域なのかも知れません。

妻は離婚を考えたのだけれども、実質的な共同養育を望んでいたようです。

それを阻んだのは家裁であり、学校であり、地域(学童やPTAなど)であったわけです。

週に2、3日は父親の元で過ごして欲しいと思い、そうしようとしたところが、家裁では月に2日間という審判。

学校や学童では、父親疎外と図らずも忖度されてしまうことに驚いたようです。

(学校や学童では離婚協議中だと報告しただけだったようですが、私は出入り禁止になりました。)

 

まずは、行政(学校)、地域社会への共同養育の浸透。そして家裁への理解を求めて行かなければと思っています。

 

☆最後に、親子の関係について。

特に別居親そして父親である場合は、社会性を伴った関係でなければ持続するのが難しいと思っています。

幼児期は二人の世界に終始してそれで成り立つわけですが、少年期に入るとより社会性のあるところに興味は移ります。

少年期に入ると、社会的関係の中で親子として関わっていけないと色々と難しくなってきます。

小1、2までは遊園地で楽しく遊べたところが、高学年になるとそこに友達やチームメイトが居ないと成り立たなくなります。

 

ここが男親の大きな課題だと思います。

学校行事、地域活動、友人との遊び方など中々男親では把握することすら難しいからです。

 

私の場合は、共通したもの=サッカーがあったのでクリア出来ましたが、ここは高学年(少年期)に差し掛かる子には重要なポイントだと思います。

Yujin.Sさん

子ども:ひとり 5歳男子

<1. 共同養育を意識した経緯>

里帰り出産先の義実家から妻子が戻らず…

義両親が要求する条件とも折り合いがつかない…そんな理由から、私には息子が生後4ヶ月のときから1年間、会えなかった時期があります。

 

父親として果たしたいことが叶わず…

こどもが生まれたこと…それ自体が夢だったのか。別居親となった当初は、理不尽な状況に焦りばかりが先行し、様々な感情が交錯しました。一方で、実母や親戚には「早く縁を切りなさい。貴方の息子なら、いつか会いに来るから」と毎日のように諭されました。

 

それでも、私は息子との縁を…

諦めることができなかったのですが、理不尽な状況は簡単には変わりません。例えば、「何も育児ができなかったことは覆しようのない事実」です。結局、義実家に対する無用な刺激は最低限に止め、「今は自分の出番ではない。いつかは役に立てる日が必ず来る」と信じ、焦らずに待つことにしました。

 

そうして、1年経ったある日のこと…

妻自身の意思で、突然息子と会える機会が設けられました。こうして、私が「共同養育を口だけでなく、実践する機会」が始まりました。

 

<2. 段階的に策定したルール>

息子と再会してから3ヶ月ほどは…

妻との関係はギクシャクしていた一方で、以下のようなルールも段階的に策定されました。

 

・首都圏に住む私が妻子が住む岐阜へ月1度通う

・平日の仕事後や土日に1時間ほどのSkypeで交流(息子が2歳になってから週数回)

・保育園の送迎はOK、親子参加があるイベントへも参加可

 

直接的な交流は…

乳児である息子の体力を鑑み、最初は3~4時間を目安に、場所を指定してもらう形で始めました。その後、私が妻子の家を準備し、そこへ月1回、宿泊する形で、少しずつ時間を延ばしました。そして、間接的な交流…私の場合は、Skypeでしたが、「息子の言語発達へ寄与して欲しい」という妻の狙いを鑑み、毎回場所を変えるなど、私も工夫を重ねました。

 

<3. 制約条件を活かすこと>

私が育児を行うといっても…

「距離の壁」という大きな制約がありました。このため、現在に至る迄、私の育児におけるモットーは「イクメンとは対極の育児」です。

 

例えば、育児で大切なことは…

「毎日、我が子のそばにいることよりも、会うタイミングを大切にし、その中身を充実させること」といった感じでポジティブに。また、息子と会えないときは、大人の時間(情報収集)を設けたり、「次回以降、我が子との交流時のアイディアを考える時間」とイイ意味で割り切る…といった具合に。

 

幸いにも、私の場合は…

妻が育児を頑張っていることは会話をせずとも、その様子を見れば分かったので、「何も育児ができずにいた1年を思えば、育児の1割ができれば御の字だ」と考えることができました。

 

<4. 家族再構築へ>

妻子と離れて暮らしておりましたが…

息子が生まれてから4年経ったタイミングで、私が岐阜へ移住し、仕事を含め、何もかもを変えました。

 

東京で生まれ育った私には…

岐阜には友人は勿論、知人もおりません。ですので、仕事場をはじめ、この決断には驚かれましたが、「育児の機会を与えてもらえるならば、父親として覚悟を決め、挑戦すべきではないか」と私は考えます。

 

<5. 最後に>

普段から共同養育の考えの下…

育児を実践されている方は、「自身が許容できる幅を拡げ、日頃から如何に早く帰着点に立つかを意識している」ように感じます。

 

逆に、自身は聖人君子であるかの如く…

相手ばかりに変化を求め、自らは変わり映えしない主張を繰り返す…そんなスタンスを貫く方も立場関係なく、おられます。

 

「我が子の成長は待ったなし」という状況下で…

「過去を引きずらず、未来優先志向で物事を捉えること」は決して簡単なことではありません。しかし、その向かう道の先に、「こどもにとって最愛の存在である両親を中心とした共同養育が繋がっているのではないか」と私は考えます。

 

Yujin.S

K.Nさん

子ども:ふたり(11歳女子、9歳女子)

ふたりの娘(小5・小3)がいますが、離婚して別々に暮らすようになったのは5年前になります。調停離婚だったこともあり面会交流のことはきちんと決めていたのですが、離婚後わずか1か月で履行されなくなり、その3か月後に面会交流について再調停を行うことになりました。

 

 再調停は1年後にまとまるのですが、子どもへの虐待が判明したという理由による再調停でしたので、その間に子どもたちと会えたのは裁判所での試行面会の一度きりでした。会えない状況下ではいろいろと想像を巡らせましたから、この頃が一番苦しい時期だったと思います。私にとって救いとなったのは当事者グループとの交流でした。そこでは「本当に“子どもたちのため”というのは何か」を常に考えさせられたので、自暴自棄にならずに済んだと感謝しています。

 

 会えていない時期での養育費については、支払いを止めようかと何度も考えましたが、子どものために自分の責務はきちんと果たしたいという気持ちのほうが少しだけ強かったので、欠かすことはしませんでした。関係改善後に、「養育費は助かった」と元奥さんが話してくれたので、結果として自分のためにも相手のためにも子どものためにも良かったことだったと思います。

 

 再調停では、面会交流は月1回2時間で、FPICでの付き添い型を利用することが条件となりました。当初は月4回8時間程度でしたから、大幅な削減となりました。当初の条件だからこそ、離婚や養育費額などに応じたというのに、こんな不条理なことがあるものかと…。しかし、月1回でも子どもたちとの交流がそういう気持ちを洗い流してくれました。手作りのお菓子やお弁当を持っていったり、どうやって楽しい時間にするかを考えるほうが本当に子どもたちのためだと思い、自分自身も楽しかったんです。

 

そうしてFPICでの面会を重ねるうち、付き添い型から受渡し型を試してみたり、月一回のFPICの間に自分たちだけでの面会を試しているうちに、いつの間にか面会に際してFPICを利用することがなくなりました。その後も、私方の実家での宿泊ができるようになり、家族4人での買い物や食事ができるようになりました。全てが順調だったわけではありませんが、うまくいかなかった時は「3歩進んで2歩下がる」と心がけ、今では長女も含めた3人のグループLINEで面会の約束をして、相手の自宅まで車で送り迎えを行っています。

 

今のような面会ができるようになってきたのは、元奥さんの「自分を克服したい」という思いによるものが一番大きかったように思います。そして、今のように家族で面会できるようになって一番喜んでいるのも元奥さんではないかと思っています。セラピーにも通っていると伝えられると、会わせなかったことについては良いことではなかったけれど、それを非難する感情については自然と薄らいできました。今でも私の自宅での面会は制限されていたり、家族がそろっている時にも高葛藤な状態になることもありますが、今までのように「少しずつ」よくなっていけばいいかなと応援するような気持ちです。

 

 自分自身が心がけたのは「正論よりも相手の気持ちを優先する」ということです。 具体的には、客観的に「おかしいよね」と思うことでも、いったん「そう考えるくらい大変だったんだ」と思うようにしました。 また、自分自身子どものことを思ってしている行動が、本当に子どものためなのか、子どもの本心はどうかを考えることを心がけました。

 

紆余曲折があってようやく共同養育のできている家族のかたちになってきたように思います。家族というものを積み木で例えるなら、離婚によって一度崩れてしまったものを、調停で一度片づけて、FPICやいろいろな人の力を借りながら土台を作り、月一回の面会からひとつひとつ積み上げて、今では子どもたちも含めた全員でひとつのものをつくりあげているように実感します。今度は何があっても崩れない頑丈なものを作りたいと思っています。

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