新しい年のスタートに 共同親権はゴールじゃない―「争わない離婚」という選択を
- rimusubi
- 1 日前
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更新日:22 時間前
新しい年のはじまりは、少しだけ時間の流れが緩やかになります。忙しさに追われていた日常から一歩離れて、これからの暮らしや人との関係を、静かに見つめ直したくなる時期です。
離婚を考えている方、すでに別居・離婚を経験した方にとって、年始はとくに心が揺れやすい季節かもしれません。「この選択でよかったのだろうか」「子どもにとって、何が正解だったのだろうか」そんな問いが、ふと胸に浮かぶこともあるでしょう。
いま、社会的にも注目されているのが「共同親権」と「共同養育」です。言葉は知っているけれど、どこか難しそうで、自分ごととして考えきれない——そんな方に向けて、年始にふさわしいかたちで、あらためて整理してみたいと思います。

共同親権と共同養育は、同じではありません
まず大切にしたいのは、共同親権=法的な制度共同養育=日々の子どもの養育への関わりという違いです。
共同親権は、法律上「父母がともに親としての権利と責任を持つ」という枠組みです。一方、共同養育は、法律の有無にかかわらず、すでに多くの家庭で行われてきた実践でもあります。
たとえば、
離れて暮らす親が、定期的に子どもと会う
子どもの日々に養育を分担する
子どもの前で、相手の親を否定しない
これらはすべて、共同養育です。
制度があるかどうかよりも先に、「子どもにとって、親とのつながりをどう守るか」という問いが、常に中心にあります。
共同養育は「仲良くしなくていい」
共同養育という言葉から、「元配偶者と円満に話し合える人だけのもの」そんなイメージを持たれることがあります。
けれど、現場で見てきた多くのケースは、もっと現実的です。
連絡は必要最低限、事務的
感情的なやりとりは第三者を介する
最初は衝突が多く、時間をかけて落ち着いていく
それでも、子どもとの関係が守られているなら、それは立派な共同養育です。
大切なのは、「分かり合うこと」よりも「壊さないこと」完璧な関係を目指さなくていいのです。
「子どものため」という言葉が、重くなるとき
話し合いの場で、よく使われる言葉があります。「子どものために」
この言葉は、本来とても大切なものです。けれど時に、・相手を説得するための材料・自分の正しさを証明する言葉として使われてしまうことがあります。
共同養育がこじれる多くの場面で見られるのは、「子どものため」と言いながら、実は相手をコントロールしようとしてしまう構図です。
年始のこの時期だからこそ、立ち止まって考えてみてほしいのです。
本当に守りたいのは、子どもの生活なのか、それとも自分の正しさなのか。
答えはすぐに出なくても構いません。問い続ける姿勢そのものが、共同養育の土台になります。
「争わない」は、弱さではなく強さ
離婚の場面では、「言うべきことは全部言わないと後悔する」「強く出ないと損をする」そんなアドバイスを受けることも多いでしょう。
けれど、「争わない」という選択は、決して消極的なものではありません。
それは、
子どもの前で争う時間を減らすため
これ以上、感情をすり減らさないため
離婚後の人生を前に進めるため
未来を見据えた、とても現実的で、勇気のいる選択です。
共同親権や共同養育が目指しているのは、「仲直り」でも「復縁」でもありません。関係の終わらせ方を整え、親としての関係を続けることです。
新しい年に、小さな目標から
年始になると、「今年こそはうまくやらなきゃ」「ちゃんとした共同養育をしなきゃ」そんなプレッシャーを感じる方もいます。
でも、目標は小さくて大丈夫です。
たとえば、
子どもの前で、相手を悪者にしない
感情的になったら、その日は反論せず一晩寝かせる
相手だけのせいにせず自分ができることを考える
その積み重ねが、結果として子どもの安心につながります。
共同養育は、一年で完成するものではありません。何年もかけて、少しずつ形が変わっていくものです。
おわりに
家族のかたちは、一つではありません。離婚しても、別居しても、子どもにとって「親であること」は、今日も続いています。
共同親権という制度が動き始めるこれからの時代、本当に問われるのは、法律をどう使うかではなく、関係をどう扱うかです。
新しい年が、争いを減らし、対話を増やし、子どもにとって「安心できる日常」が少しずつ増えていく一年になりますように。
このnoteが、いま迷いの中にいる誰かの、心を少し軽くできますように。



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